2020年10月1日
未来リーダーインタビュー 第4回
純粋に上下関係なく、
一人ひとりの社員をサポートしたい
聞き手
西田 政之 氏
一般社団法人日本CHRO協会 主任研究委員
ライフネット生命保険株式会社 取締役副社長兼CHRO
残酷な“ダメ人間”という判定
西田:未来リーダーインタビューにご協力下さりありがとうございます。ZOZOさんは人のマネジメントについても創業期より独自のやり方を貫いていらっしゃいますが、前澤さんのご退任後はどういう方向へ向かおうとしているのか、今日はじっくりお話をお聞かせください。
三原氏:初めてのインタビューで少し緊張していますが、こちらこそどうぞよろしくお願いします。
西田:三原さんは山口県のご出身ですよね。幼少の頃はどんなお子さんだったのでしょう。
三原氏:生まれは広島県で、父の仕事の関係で山口県へ移り住みました。幼稚園の年長の時に、母が強い子に育てたいと思ったのか、空手か剣道のどちらかを選ぶように言われました。子供ながら剣を持つのがカッコいいと思って剣道を選び、そこから高校まで続けることになりました。
西田:すぐ剣道の魅力にのめり込んでいったのですね。
三原氏:入門の際にレベル判定があるのですが、同時に入門した中では一番出来が良かったにも関わらず、級位が一番下だったのです(母曰く)。当時から反骨精神が旺盛だったこともあり、見返してやりたいという気持ちが沸き上がって自然と頑張りましたね。
西田:戦績はいかがでしたか?
三原氏:小学4年生の時に同門のライバルを県大会決勝で倒して全国大会へ出場しました。5年生で山口県へ移り住んでも、県大会で優勝。6年生でも全国大会へ出場しました。中学になってからは、ちょっと色気付いて、うつつを抜かし始めたのですが(苦笑)、それでも小学校の時の努力の貯金があったので、中国大会へは出場していました。
西田:高校は剣道の強豪校へ進まれたのですか?
三原氏:高校へは剣道の特待生として入学しました。でも、高校に入ると、実力は上なのに上位選抜グループに選ばれないという挫折もあったり、その直後に怪我もしたりして、一気に熱が冷めていきます。もっとも、その前から将来の進路を考えると、剣道ばかりやることに対する疑念もあったので、親には申し訳なかったですが、特進クラスと特待生の両立から、剣道を除外しました。
2020年10月1日