2025年2月18日
──本日は、ソニーと日立という日本を代表する企業同士の画期的な相互出向副業制度の取り組みから、今後の可能性、さらにCHROの役割まで幅広くお話しいただきたいと思います。
まずは登壇者をご紹介します。ソニーグループ株式会社執行役専務、人事、総務、グループDE&I推進、秘書部担当、中国総代表の安部さん、よろしくお願いします。
安部 ソニーで総務人事、その他担当しております安部と申します。入社して40年ほどになりますが、一貫して人事を担当しており、うち約半分近くを海外で過ごして今の立場になっております。今日はよろしくお願いします。
──続いて、株式会社日立製作所執行役専務Chief Administrative Officer兼 Deputy CRMO兼コーポレートコミュニケーション責任者の中畑さん、お願いいたします。
中畑 日立製作所の中畑です。私も日立で40年ほど経験しておりまして、2014年から2024年3月まで10年間CHROをやっておりました。2024年4月から、Chief Administrative OfficerとDeputy CRMOを兼務しており、ブランドコミュニケーション、コンプライアンス、監査等全般をやっております。後任のCHROにはLorenaというイタリア人女性が執行役専務として着任しています。今日はよろしくお願いします。
競争力の源泉である技術開発の人材交流
──「企業間相互副業プログラム」の話を最初に聞いたとき、私も「すごいな」と思いました。日本を代表する2社が相互に副業する画期的なプロジェクトについて、まず私のほうから概要をおさらいしておきます。
2022年8月、経済産業省「人的資本経営コンソーシアム」が立ち上がり、その一環で話が進んでいきました。23年度には「企業間連携プロジェクト」の1つとして「会員間での相互副業プログラム」が立ち上がり、ソニーと日立の間でR&Dや新規事業といった“尖った人材の相互副業”を始めようという企画が動き始めたと伺っています。
取り組みの目的は、「企業・社員の持続的成長につながる新たな“副業”の在り方を検証すべく、“象徴的な尖ったポジション”での相互副業を実施する」こと、「個の挑戦を“相互副業”という形で支援することでキャリアのオーナーシップを高めるとともに、企業間の境界を超えた価値・成長機会を促す」ことです。共同研究や兼務出向等ではなく、社員が自ら手を挙げて副業先と直接契約する業務委託型という思いきった形をとられた点がとても印象的で、最終的に個人の成長と会社の成長の双方に寄与することが期待されています。
今回、まずはソニーと日立の2社でトライアル的にスタートして、その後は複数社を巻き込みながら、オールジャパン的に取り組みを拡大するという構想で動き始めました。
以上、概要をお話ししましたが、補足等ございましたらお願いいたします。
安部 背景はお話しいただいたとおりです。経済産業省が主導する人的資本系コンソーシアムの中で、日本の成長を牽引していく競争力の源泉として人材に焦点が当たる中で、人事の成果を最大化するための切り口として、労働流動性が取り上げられました。まず、流動性に働きかけるイニシアティブとして、「相互副業をやってみようではありませんか」と、日立製作所の中畑さんとお話させていただき、お互いの意向が合致してこの取り組みに至りました。
ソニーグループでは、スタッフ系での兼業や副業の例は過去にもありました。今回はお互いテクノロジー系を競争力の源泉としている会社が、「競争力の源泉である技術開発の場で人材の交流をやってみよう」という試みで、中畑さんからもお誘いいただき実現しました。
中畑 この人的資本経営コンソーシアムは、とても面白い取り組みです。政府や役所がお膳立てしてまとめて提言して終わりではなく、500社ほどの参加企業が「みんなでやっていこう」という取り組みですから。せっかく500社が集まっているのだから、考え方や方法を提言するだけではなく「実践していきたい」という意識がとても強いのです。この相互副業は安部さんが最初に手を挙げて、私が一緒に手を挙げる形で実現しました。
意識改革・組織風土改革のきっかけとして
──思い切った施策ですが、外に開くことについては抵抗感なく自然に受け入れられて進んでいったのでしょうか。
安部 こうした機会の投げかけに対しては、社員にも組織にも大きな戸惑いや抵抗はありません。兼業・副業や新しいチャレンジへの取り組みについては、ソニーは創業以来、会社と社員がお互いに選び合って応え合うことを企業理念として継承しているので、比較的自然に受け入れられました。もともと制度として自発的なキャリア構築の仕組み(社内募集)があって、運用して60年近くの歴史があります。今の仕事を続けながら社内で他の仕事をやってみるという仕組み(キャリアプラス)も、運用しているので、その対象が他社になることに大きな戸惑はなかったと思います。
ただし、その対象が日立で、しかも“技術の中枢で”というところに関しては、一定のインパクトを持って受け止められました。
中畑 実は日立は副業をやっていなかったので、社員にとって「副業」に対するイメージはかなりハードルが高かったと思います。労働流動性や自分で自分のキャリアをつくるという観点から、心のハードルを下げたいと思っていました。ソニーと日立でお互いに副業を行う今回のプロジェクトでは、最先端の経験ができるし自身のキャリアにとっても魅力的で、副業に対するハードルが下がりました。自分の成長がイメージできるのだろうと思います。これは、実際に取り組み始めてわかったことでもあります。そうした意味でも、とてもいい取り組みだと思っています。
安部 基本的にBtoC事業で最終的に一般のお客さまをターゲットにしている我々の事業と、グローバルにインフラ整備、プラットフォーム展開を推進される日立の事業とは大きく生業が異なります。日頃から大きな学びがあると思いながら日立さんを拝見していましたので、ソニーにとって大きな気づきのきっかけになると思い、ぜひともとの想いで取り組ませていただきました。もちろん、具体的に実施しようとすると、成果物の帰属先等、実務的なハードルがあったことも確かです。
イノベーションは多様性から生まれます。自分で取り組むチャレンジの範囲が自社の中で留まっているよりも、普段とは全く異なる環境に身を置き、経験を積むことによる新しい気づきや学びは間違いなく大きい。そう信じて投げかけたところ、期待どおり社員からも好評でした。
中畑 日立から見るとソニーと一緒に取り組めることは、とてもありがたいことでした。安部さんがおっしゃるように、ソニーと日立はたどってきた歴史が異なりますから。
相互副業は1つの人事施策ではありますが、基本的には日立がこの15年ほど取り組んできた経営改革の「事業戦略を大きく変える」という考え方の延長線上に出てきたものだと思っています。もともと、日立は1910年に5馬力モーターをつくるところから始まった会社です。製品やシステムをきっちりつくって、例えば、鉄道会社、電力会社、あるいは金融機関といったお客さまにきちんと納めることが重要で、それでビジネスが成り立ってきました。そうした職場では、どうしても同質な人たちがある程度同じような考え方を持って仕事をするのが効率的なのです。そういう人たちに、この取り組みを持ってきたらおそらく仰天したと思います。
──そうでしょうね。
中畑 日立は2009年に過去最大の赤字を出して経営危機に陥りました。これを契機として2010年から経営改革に取り組んできましたが、その前であればおそらく社員だけではなく、人事も経営陣も相互副業という発想にはならなかったと思います。製造業最大の赤字(当時)を出した後、事業戦略を変えました。製品やシステムをつくって納めるだけではもうダメで、それに加えて、データを使ったサービスをお客さまと一緒になって社会に提供する、「社会イノベーション事業」に大きく舵を切りました。事業が変わると、今までとは異なる人材、違うものが求められます。
例えば、グローバルな社会課題を解決するサービスは、従来と同じ考え方の人ばかりでは出てこないから、多様な人材が必要になります。また、社会課題を探しに行かなければならないので、プロアクティブに自分から手を挙げて挑戦する人が必要になってきます。
そのために、人事はDEI推進やジョブ型マネジメントへの移行、グローバルの経営リーダーの在り方の変更やグローバル共通の人事制度・評価の導入など、10年間変革し続けてきました。そうした素地があったので、今回、社員も反応できたと思います。それでもやはり実際に手を挙げた社員数は、ソニーよりも日立のほうが少なかった。
しかし、今回うまくいき始めているので、ここから意識も変わってくると期待しています。
垣根を超えた意識・発想・行動を促す
──この取り組みがよいきっかけになった?
安部 そうですね。この制度で大規模な改革をするというよりも、これをきっかけとして社員の意識改革や組織風土の改革につなげたいという部分は我々も同じです。
ソニーは従来から、自分のキャリアは自分で築くことが制度的に定着してはいますが、リーマンショック後の厳しい時代を経て、今はかつての祖業であるエレクトロニクスの占める割合が相対的に小さくなり、その他の映画・音楽・ゲーム・半導体・金融という6つの事業セグメントで成り立つ複合型の事業体です。この6つの異なる事業が併存している意味を常に株主や投資家の方々から問われる中で、社長の十時(裕樹)がしきりに言っているのが「バウンダリースパナー(越境者:異なる組織の間のコミュニケーションや協力を促進する個人)たれ」です。
組織や事業の垣根を超えた意識・発想・行動を促すとき、今回の試みは超えるのであれば自社内に留まらず「全く違う世界や景色を見て、それを自分の仕事に持ち帰ったらどうなるか?」という、もう1ステップアップした大きな飛躍につながります。そうした象徴的な意義があると捉えています。
中畑 確かに、かつては事業自体が自社で閉じていました。今は自社だけはできないことが増えていて、コ・クリエーション等、お客さまや他社と一緒にサービス提供するところに踏み出している。私たちにとって2010年前の人事施策とそれ以降の人事施策では、考え方が一変しました。今回の取り組みのような発想がなければ、他の会社と一緒に事業を行って社会課題を解決するというところに向かわない。
日立は従業員が28万人もいます。その中にさまざまな事業がありますから、日立の中を知るだけでかなり大変です。かつ日立の中にある常識で仕事を進めてきていたのが、外に出ると日立の常識が非常識になっている。そうした経験がよい気づきとなり、よりよい理解につながると思っています。
──大きい会社ならではの悩ましさですね。その常識がある意味1つの塊として動いていくための軸にもなり得るし、その軸が固まり過ぎると今度は世間と乖離していく。だからこそ、異なる環境下の大企業2社で行うのが面白いと思います。
異なる環境だからこそ得られる“気づき”
──この取り組みを進める中で、オープンイノベーション等の観点から、こうした人材交流が進んでいく可能性についてどのように感じていらっしゃいますか。
安部 時間はかかると思います。拡大させようとすると簡単にはいかないと思いますが、私自身は手応えを感じています。というのは、参加して戻ってきた人たちに、「何を学んだか? 何を得たか?」と聞くと、皆さんポジティブなのです。みんな社内のいろいろなプログラムでは得られない良い刺激と気づきを得て、帰ってきている。
逆説的かもしれませんが、思い切って視点や活躍の場を広げてみることで、今の仕事のより深い本質的な部分を見極めることができ、視座も高まるのではないでしょうか。関わる相手が日常的に同じ顔ぶれで、同じ環境の中で議論をしている限り、議論は行き詰まるし、展開に変化も起こりづらい。「議論の場を変え、議論する相手を変えることによる気づきは大きい」とつくづく実感します。多様な組織ほどイノベーションが生まれる確率が高くなるのは、統計的に確かなことです。この取り組みを通じて、それを自ら体感して「非常に意義があった」と言ってくれていることで、良いスタートが切れたと思っています。
イノベーションにつなぐところまでは、そう簡単にはいかないと思いますが、「新しいノウハウを持っている人」は、ひょっとして社内ではなく社外にいるかもしれません。そのとき、できるだけオープンに、社内でなければダメだという無意識のバリアができないようにするためにも、この制度をきっかけに、新しい気づきや発想につながっていくのではないかと思います。
──イノベーションにつながるかどうかは、たくさんやってみなければわかりませんね。
中畑 オープンイノベーションがいきなり出るわけではなく、その前の意識を変えるところにまず成果が出ると思います。私たちからソニーに行かせてもらう、あるいはソニーから来ていただく。副業とは言え、違う見方を持っている人たちは、例えば、社外のコンサルタントよりももう少し中の人になって会社を見ることができると思う。それは会社にとってものすごくいいことです。そこで文化が変わるし、違いがあることを知る。オープンイノベーションはそこから徐々に生まれてくる。
まだ規模が小さくこれからだと思いますが、会社としてこうした動きをしていくことを社員に見せることが重要だと思っています。
──おそらく土壌づくりに近いのでしょうね。いろいろなものがつくれる土壌を、いろいろな角度から耕そうとされている。
中畑 そうですね。日立の場合はこの5年間にM&Aで10万人の新たな人材が入っています。米国のグローバルロジック等から、従来とは違う人材が入ってくることで、異なる考え方が出てくる。その重要性を社員たちが認識し始めているからこそ、それを広げて他社と行うことができていく。おっしゃるとおり、そうした土壌・素地があったのだろうと思います。
社内外で求められる人材の掛け合わせ
──M&Aの話が出ましたが、両社ともM&Aを活発に活用されています。グローバルで戦うことを考えると、こういった場があることによって優秀な人たちを引き付けることができる。競争力の源泉である人を獲得する「人材獲得競争」は、グローバル競争の1つであり、M&Aはそのための大きな手立ての1つになりそうです。オーガニックでの海外開拓が難しくなってきている中で、インオーガニックの代表的な手段であるM&A を多用しながら、買収した会社の人材と、もとからいる人材を掛け合わせるような取り組みが必要になってきます。そうした取り組みについてはいかがでしょうか。
中畑 それは今、必死に取り組んでいます。例えば、グローバルロジックという会社はシリコンバレーに本社を置くデジタル会社で、インド等に3万人の社員がいます。この会社は、日立がデータを使ったサービスをグローバル展開するために必須の会社です。この会社単独の売上や利益が必要だったわけではなく、この会社が入ることで日立がインダストリーや電力といった従来のビジネスを、データを用いたデジタルビジネスに転換するために必要だったのです。
期待する効果を得るには、従来の日立と新たなグローバルロジックを掛け合わせなければなりません。グローバルロジックにすべてお任せするのではなく、グローバルロジックと他のビジネスをプロモートするために、日立デジタル社をつくるなど、掛け合わせを相当やってきました。事業の掛け合わせとは人の掛け合わせです。そういう意味で掛け合わせは、社内でも重要になっています。
──単なるビジネスラインとして持ってきたわけではなく、イネイブラー的な動きも同時に果たし、既存の事業ラインでさらに付加価値をつくっていくわけですね。
中畑 今、事業に横串を入れようとしています。会社という組織は事業が強くなると事業ごとに独立したくなります。しかし、そこだけでは利益が頭打ちする。そこにデジタルという横串を刺し入れることが、これからの日立にとっての生命線だと思っています。
そういう意味でも、今回の交流や人の意識の変化、One Hitachiで考えるということ、ソニーが行っているようなパーパス経営などが、今とても重要だと思っています。
外からの知見を新たなチャレンジのきっかけに
──安部さんはいかがですか。
安部 日立が大胆なM&Aとグローバル展開を実行されている中で、領域やアプローチは少し異なりますが、成長の機会をM&Aに大きく負っているのはソニーも同様です。
かつての強い魅力的な製品を日本で開発して、海外に製造を移管し、販売はフロントで行って、世界中のお客さまに届けるというモデルはすでに大きく変化しています。エレクトロニクスの例をとると、よく言われる「ものからことへ」軸を移していくために、我々の技術力をサービスに転換していかなければなりません。例えば、スポーツの判定技術を支援する会社(ホークアイ)は、買収後、サービスとしてお客さまと契約を交わす事業として着実に成長し、売り切りから新しいモデルへ変革していく好例になっています。
また、ソニーの中で売上的に収益面でも貢献が大きいのが、プレイステーション(ゲーム)を運営しているソニー・インタラクティブ・エンターテインメントです。売上構成も含めて完全にグローバルに展開しているので、本社は西海岸ベイエリアに置き、コンテンツやネットワークサービスは、この組織の中でグローバル展開しています。日本が担当するのは、ハードウェアやさまざまな物理体験が感じられる、最後のお客さまとのヒューマンインタフェース部分です。
そうしたグローバルな事業運営をする会社の中で、例えば、ライブゲームサービスをメインとするコンテンツ開発会社を買収したとき、一見そのゲームのコンテンツを作成するスタジオを買っただけに見えがちです。しかし、実はそこから得られる知見、新しい動きやお客さまの思考を我々の思考の中に取り込んでいくことが重要なのです。
ソニー・インタラクティブ・エンターテインメントは、ソニーの6つの事業の中で、新しいグローバルな事業の在り方を象徴的に示しており、そういう場で新しい活躍をすることが人材育成の機会になると考えています。
日立もソニーも、いろいろな活躍の場が社内にもあると思いますが、そこにどんどんチャレンジしてもらうためにこそ1回思い切って振って、社外を経験して自分たちを外から見つめ直す。それが社内の新しい挑戦により積極的に向き合っていこうという、好奇心を高めるきっかけになるのではないか。そんな思いでこのプログラムを捉えています。
M&Aと人材獲得競争
中畑 おっしゃるとおりですね。人材獲得競争という意味で言うと、多様なマーケットに出ていくことはとても重要です。日立がデータを使ったサービスを展開するには当然デジタル人材が必要で、この3年で3万人増やさなければなりません。これは日本だけで考えたらあり得ない。日立グループ国内だと毎年の採用が4000人ほどで、デジタル人材はその10%として400人です。年間1万人なんてあり得ない数です。
一方で、グローバルロジックは、2024年従業員数3万5000人ほどですが、買収時(2021年)は2万人強でした。インドと東欧、南米で、デジタル人材を毎年1万人採用しているわけです。これが労働流動化や多様化を図るメリットであり、そこだけでおそらく差別化になり得ます。
そして、今回の「外と一緒にやっていこう」というコンセプトは、そこに活きてくると思います。
──もともとM&Aも外外の関係性を内に取り込むという話ですからね。
安部・中畑 そうです。
多様性ある人々を束ねる上位概念(パーパス)の重要性
──今回の業務委託の形による取り組みは、言ってみれば2拠点生活のようなものだと思います。本籍は日立だけど、現住所はソニーにあるという感覚で、両方の“中のこと”をわかり合えるのは、まさにM&AのPMI(Post Merger Integration)的な効果、あるいはシナジー効果と似ています。多様な形で地域や事業が広がっていく中で、さまざまな感覚を持った人が集まるのは素晴らしいことですが、国や事業領域が異なる人々を、どうやって束ねていらっしゃるのでしょうか。
安部 ソニーの祖業の割合が相対的に小さくなり、それ以外の事業規模が大きくなってくると、事業の違いが際立ってきます。映画・音楽・金融・エレクトロニクス・半導体・ゲームに共通の価値観を見出そうとすると、より高い概念で共通できるものを見出さなければ、多様な人材が共有することは難しくなってきます。
ミッション・ビジョン・バリューは前CEO(平井一夫)のときに定めましたが、現CEO(吉田憲一郎)が「我々の存在意義」という原点に立ち返ろうとしたのは、より多様性を進める流れの中で、私は必然だったと思っています。2019年に定めた「テクノロジーとクリエイティブの力で世界を感動で満たす」というソニーのパーパスは、広い事業範囲の誰もが共感を覚えることができる上位概念です。概念の位置づけを高めていかなければ、多様な人たちに対する共感性は伴いませんから。M&A等でインオーガニックによる成長を図ろうとすれば、やはり、上位概念として皆が共感できるパーパスの重要性はますます高まる気がします。
中畑 同感です。日立は、「和・誠・開拓者精神」という3つの創業の精神と、社会に貢献するというミッションを高い概念として1910年から持っています。これはとても重要です。次に事業を行うとき、社会に貢献するというミッションや和・誠・開拓者精神をつなげなければならない。つないだ上で、その事業の実行に具体的に落とし込み、さらに人事施策にも落とし込まなければ、多様な社員の共通意識にはならないと思うのです。結局、社員が腹落ちしなければ人事施策は意味がないのです。
施策は誰でもつくることができます。例えば、ジョブ型は誰でもつくれるけれど、「なぜこれをやらなければならないか」を社員が本当に腹落ちして、日々の生活でそういう行動に出るようにしていかなければ意味がありません。
そのためには、やはり、パーパスから事業戦略に至ることが必要だと思いますし、M&Aで10万人入ってくるとき、私も事前に、何度も経営幹部と「和・誠・開拓者精神」について語りました。東原(敏昭前社長)も小島(啓二現社長)もそうです。経営幹部がパーパスに共感できるかは、とても大きいです。
安部 そうですね。
中畑 パーパスに共感できない会社が一緒になったら、おそらく失敗します。グローバルロジックのCEOニテッシュ・バンガも、「日立のパーパスが良かった。自分たちと同じだった」と言っており、それが日立と一緒になった理由なのです。M&Aで会社を選ぶときも、やはりそこが重要だと思いますね。そこで共感できない会社もありますから。
安部 DD(Due Diligence)を実施する時点から、そこはすごく考えますね。かつては、技術やマーケットで相互にメリットがあるということで一緒にやり始めたのに、結局「性格が合いません」ということもあったような気がします。
──私もM&Aは基本的にはパーパスや根本的に大事にしているところが合致している会社がまとまったほうがいいと思います。もしそれがまとまっていないのであれば、分割したほうがいいとさえ思うこともあります。
安部 DDと違って、PMIは形式化できないだけに大変です。「PMIでうまくいきそうだ」ということを、いかに先に実感を持てるか。その重要性は先ほど中畑さんがおっしゃったとおりです。経営者のマインドや、社員や会社の理念や価値観が今の自分たちと合致しているかどうかが、その後のPMIの成否を見通す材料になると思います。
中畑 PMIは本当に重要です。文化を伝えるのは、何かやればできるという簡単なものではありません。「タウンホールミーティングを行えばいい」とか「教育を実施すればいい」など言われますが、それだけでは当然、文化は伝わらない。例えば、評価の仕方を変えるかとか、あるいは日立で言えば、ここに行けば日立のオリジンが全部わかるという「オリジンパーク」を茨城につくるとか、いろいろなことをやってようやく伝わっていくものになる。時間はかかりますが、ここは手を抜いてはいけないところです。
──どれだけいいことを言っても、日頃の活動が違えば「あれ?」って思い始めます。カルチャーとは日々の行動の積み重ねでもあります。カルチャー変革も結局、行動変革、日々のルーティーンの積み上げが大事ですね。
人材データ・情報の把握と活用
──仕組みは誰にでもつくれるとは言え、何十万人もいらっしゃる人材のデータや情報の一元管理は大変だと思いますし、「見えていないとできない」ことがあろうかと思います。人材データはどのように把握されていますか。
安部 中畑さんが先んじてリードされた人材データシステムの構築を我々も推進しながらグローバルな人材把握と活用に繋げようと取り組んでいます。
基本的なインフラは整っているのですが、結局、人事の制度と同様、人事のシステムは手段であって目的ではありません。ソニーグループ11万人の大半の社員が同じシステムで人材データが統合的に管理できるようにはなっているのですが、これを価値につないでいけるかはこれからのチャレンジであり、大きなオポチュニティだと思っています。
中畑 経営改革を進める中で、経営戦略に連動した人材戦略をとるに当たって、まずは人材を見えるようにしました。ソニーと同じシステムです。28万人ほどの社員のデータがシステムに入っており、基本的に誰でも見ることができます。私のデータも当然、見ることができます。
チャレンジはシステムを入れることよりも、次にシステムを使って何をするかです。最初は「人材が探せる」というところから始まりましたが、それほど簡単ではありませんでした。これとは別に、今、社員が何を考えているのかを掴むエンプロイーサーベイのデータの運用を2013年頃から始めており、このデータをかなり重視しています。長年やっておりますと、社員の考えの変化が見てとれます。事業によって良くなったり悪くなったりするなど変化があり、こうした感覚(人の気持ち)を掴むのはとても重要だと思っています。
安部 同感です。社員がどう感じているかのサーベイから見えてくるエンゲージメント部分は、極めて価値あるデータだと思っています。
──プロフィールデータが見えていればいいわけではなく、もっと内面的なものまで把握していくことの重要性もありますね。
データが価値を生むための“人”の介在
──タレントマネジメントシステムの運用に苦労している会社で耳にするのが「従業員がなかなかデータを登録してくれない」という悩みです。よくよく話を聞いてみると、まだまだ「管理」の発想が強すぎて、それでは登録されないのではないかと思うケースもあります。外部の転職エージェントに自ら登録して詳細に記入するのは、成長機会を得られると考えているからです。社内のシステムも、自分のキャリア形成に有効なものと認識されればもっと利用されそうです。
安部 おっしゃるとおりですね。自分にとってデータが価値あるものになることがサステナブルにつながり、常にアップデートしていくことにつながります。
我々は、人事主導ではなくデジタル化を推進しているデジタルオフィサーのイニシアティブで、ドライなファクトだけのデータではなく、「より有機的な価値を生むために人を介在させよう」としています。データを使ってつなぐのは人なのだから、人を介在させようというので、ポリネーターネットワークをソニーグループ全体を対象に導入しました。点と点をつなぐのは人ですから、広いネットワークと知見を持った人たちにデータというバックアップをすることで、例えば、組織を超えたプロジェクトを起こすとき、このプロジェクトを組成するのに適した人たちは、どこにいて、どんな顔ぶれになるか、人事のサポートによるデータ共有支援しながら提供する。それが今、順調に始動し、興味深い進展を見せ始めています。
データはあくまで1つの材料です。中畑さんがおっしゃったように今、経営にとって必要なエンゲージメントサーベイのデータや、新しいプロジェクトを新規で起こしていくためにデータをどう使うかと考えるケースなど、あえて人を介在させることもあります。人事システムのデータには、いろいろな可能性が秘められていると思います。
中畑 お客さまと一緒に社会の課題を解決するシステムやサービスを進める場合、お客さまにどういう方がいるかは一緒にプロジェクトを組むのである程度見えますが、やはりデータは必要です。安部さんがおっしゃった「人を介在する」のはとてもいいアプローチで、日立でもやりたいと思っています。確かに、データだけポンと置いてあっても何も動きませんから。
安部 人事からではなく、デジタル化を推進するデジタルオフィサーからこの提案が出てきたのが象徴的だと思います。人事もデジタル化もすべて手段であって、それで生み出そうとしているのは「継続的な社員と会社の成長である」という軸さえブレなければ、いろいろなアイデアが出てくるのです。
世界の中の日本。その強みを際立たせる①──こだわりを持ったものづくりの発想力
──ここまでソニーと日立の取り組みを中心にお話しいただきましたが、今度はもう少し広く「日本にとって」という話をお伺いしたいと思います。少子化や内内格差といった内憂とポピュリズムや紛争といった外患に晒される中、ともすれば、環境は厳しいと悲観的に捉えられがちです。ただし、その中でより大きな視点で、日本企業の方向・未来を考えたとき、大企業だからこそできる役割はあると思います。まずは、そうした大企業の果たすべき役割について、お考えを伺いたいと思います。
安部 日立もソニーも極めてグローバルに経営を運営しているので、ことさらに日本がというより、ソニーが成長し続けるためにということを常に考え、議論しています。それでもやはり日本に本社を置き、日本で生まれて、日本で大きな存在感を持つ会社として、ソニーグループの中で大きな割合を占めている日本の位置づけとは何かを考えるとき、世界の中の日本の縮図としてソニーの中の日本が現れたかもしれないとも感じます。
グローバルにさまざまな機能を最適配置していく中で、日本の強みをソニーグループの中で見たとき、日本にとって自信につながる強みが、ソニーの中でも認識されているように思います。すべてにおいて優れているわけではなく、強みが必ずあるはずなのです。
その強みは何かと考えてみれば、例えば、日本では本質を見極めて、品質にこだわったものづくりが行われます。そうしたこだわりは製品をつくるときだけではなく、さまざまな場面で発揮されます。汎用性があるということです。IP(Intellectual Property)コンテンツが数多く日本から生まれているのも、「ものづくりの新たな発想力」という日本の強みが活かされている部分が大きいと思います。
日本全体を見たとき、ご指摘のとおり、労働人口が7000万人をピークに減少していく中で、生産性を上げることで強みをもっと際立たせる可能性はあると思っています。現在、ソニー11万人のうち、5万人近くが日本の社員です。その日本の社員の強みを、ソニーグループの中で最適に活用していくことがこれからの大きな可能性になると思います。
日本は世界のIP市場の3番目に位置づけられています。これをスケールさせる仕組みをつくる。ゲームやアニメーションの例で言えば、日本から生まれるさまざまなゲームコンテンツやアニメーションといった新しいIPコンテンツを、プレイステーションネットワークやクランチロール(アニメの配信プラットフォーム)という我々が持つプラットフォームによって、世界中のお客さまにしっかりと届ける。それがソニーグループの中の日本ソニーの役割であり、日本の強みであると思っています。日本の強みは、このように進化した形で出てくるのではないでしょうか。
半導体についても、ものづくりに対するこだわりや本質を見極める力が、イメージセンサーの中でシェアトップの位置づけであり続けさせています。開発力だけではなく「ものをつくるまでの一貫した流れ」に強みがある。
日本の強みを見極め、それを追求し、生産性を上げていくところにチャンスがあると思います。
世界の中の日本。その強みを際立たせる②──パーパス経営の歴史と伝統
中畑 日立もグローバルに展開している企業ですが、やはり多様な見方を持った人材や集団を「中に持つ」ことが重要だと思うので、それは続けていきます。
同時に、日立28万人のうち約40%の11万人が日本の社員であり、日本の良さはあると思います。その1つはパーパス経営です。日立で言えば「和・誠・開拓者精神」にあたるものを持っている日本企業は多いと思いますが、海外の会社にはあまりありませんでした。パーパス経営が盛んに言われ始め、パーパスがつくられ始めたのはここ何年かのことです。その違いが、日本には強みとしてあります。
安部さんがおっしゃるものづくりの強さはやはり日本の強みです。10年間日本在住の経験があり、日本をよく知るグローバルロジックCEOも、ディテールへのこだわりは日本の強さだと言います。「品質や質の高さに日本の良さがある」と彼は言い続けています。ここにグローバルロジックのアジャイルなスピードを入れていけば、さらにいいものができます。日本の良さは残せると思いますね。
中西(宏明元会長)は「日立は日本企業であり続けるのか?」と社員から問われるたびに、「日本企業であり続ける」と明確に答えていました。それはCEOが日本人であるとか、日本を中心にオペレーションするとか、日本のマーケットを中心に事業を行うからではありません。中西の言葉で申し上げれば、中長期的に考えるとか、自分のためだけではなくて利他の精神を大切にするなど、「日本の良さを持った会社だから日本の会社」なのです。
そういう意味では、日本企業が伸びる素地は大いにあります。そうした日本の強みを、我々もうまく活用していきたいと思います。
──ありがとうございます。その良さに対して、お二人がおっしゃるように、今必要な強さをM&Aやタレントアクイビティや今回の取り組み等も掛け合わせて、さらなる強さに引き上げていくことが大事だと思いました。確かに、パーパスや価値観を大事にする企業は日本に多いのです。先日、大学院の授業でもたまたま話したのですが、日本には古くから家訓のようなものがあって、それがうまく企業活動に転換されて、日本の集団や組織はパーパスや価値観を大事にしている。うまくいけばそれが大きな力になるし、うまくいかなくなるとそれが変革の障害にもなってしまいます。上手に「現代語訳」していくことが大事だと思います。
CHROが発揮すべきリーダーシップ①──経営チームの中で人材を語る力、経営と人のブリッジとなる力
──それでは最後の質問になります。CHROの役割、これから発揮すべきリーダーシップについてお考えをいただきたいと思います。
安部 企業の競争力は最終的にはすべて人に帰属します。競争力の源泉たる人に最大限活躍してもらい、成長してもらうことが究極のCHROの役割だと思います。
CHROが経営に近づくことは今や当然のことで、経営の議論の中で、経営の一員としてのCHROが、経営の意識を持った人材の責任者として、人や企業風土や今後の人材戦略について、いかにわかりやすく語れるかが求められています。
人や文化は極めて定性的で形式化しにくく説明しづらいものです。今、投資家の人材についての開示要求がありますが、その目線をもっと近づけると、人事責任者は経営チームの中で人材を語れる力を持たなければならない。人の可能性や課題を可視化して、経営チームに対してしっかりとデータで示しながら、経営戦略の1つに組み込まれるような説明責任を、どれだけ我々が果たせるかが問われているのです。
もう1つCHROは、社員との接点を持っています。社員に近づくときは、経営の脈絡で会社が向かおうとしている方向性や会社が期待していることを、しっかりと語る役割が求められます。
CHROとは究極、経営に対して人材を語って納得できるように説明責任を果たし、社員に対しては経営の脈絡で今、会社が期待していることを最終的には一人ひとりにまでブレークダウンして語るという、経営と人材のブリッジとして連携を果たす役割が期待されていると思います。
CHROが発揮すべきリーダーシップ②──変わるために必要な腹落ちと実績
中畑 よくわかります。私も、経営に近いというのはもはや当たり前のことだと思います。私たちも、CHROは人材関係を主としたCEOだという意識で、経営陣として経営を実行していくと言い続けており、そうした意識はさらに強まっています。経営が変われば、事業戦略が変わり、人事施策も変わります。この変化を掴みながら経営陣としてやっていくのは、とても重要で大変なことです。これからのCHROには、そこが強く求められる。
安部さんがおっしゃるように、経営陣への発信と同時に社員への発信、それから社外への発信が重要です。私たち人事の人間は人事制度から語りたがります。しかし、それだけでは全く動かない。「なんでこれを行うのか」「経営の観点からこうです」という話を、きちっと説明しなければ機能しないのです。私もこの10年やってきましたが、これはかなり大変です。
人は基本的には変わりたくないという性質を持っています。そこを変えるには、腹落ちが絶対に必要です。腹落ちするには、1つは「何のためにこれやるのか」をしっかりとコミュニケーションとること。そして、もう1つは実績です。実績を見せることが極めて重要なのです。だから私は、「人材施策は時間がかかるし、時間をかけなければならない」と思っています。だからこそ、早く方向を決めて、早く手を打たなければなりません。これからのCHROは大変だし、ある意味面白いと思います。
安部 中畑さんがおっしゃるとおり、人は変わりにくい。我々がやっていること(経営と人)は、どちらも動的なものです。続けなければならないし、働きかけなければならないことでもあります。
──人の問題はおそらくいちばん難しい。最後は必ず人にいきつきますが、最初から人と言ってしまうと何の課題も解決できません。なので私は、「課題は人だ」と最初から言ってはいけないと思っています。が同時に、本当に今欲しい人は実は今いない人かもしれないというところに対して、HRは先取りしていかなければなりません。先を見ながら人事の手当を打っていくのは、事業の先を考えるよりも実は難しい。そんな難題をCHROの方々は担っておられるといつも思っています。さらに、しっかりとステディーを図れることが大事で、HRは制度に寄ってしまった時代から大きく変わり始めており、制度の中で何をしていくかというストーリーを各ステークホルダーに伝えていくことが大事だと感じました。
HRの持つ可能性を共に拓く
──それでは最後に、ご視聴の方々にメッセージをお願いします。
安部 HRはいろいろな難しさがある分、大きな可能性を秘めていると思います。今後の競争力に大きな可能性を持つ人に対して、人事に従事している人だけではなく、すべての皆さんがしっかりと向き合いながら、大きな可能性をより具体的に実現していきたいと思っております。今日の話が何らかのヒントになれば幸いです。ありがとうございました。
中畑 今日は相互副業の話から始まり、広く経営全体に話が及び多くの学びがありました。ありがとうございました。私もHRの重要性はいっそう高まっていると思います。経営とともに変化しながら、日本の良さを残したHRが私はできると思います。それを実現して日本企業がグローバルで戦って勝ち、かつそれが日本全体の成長につながる。そういう世界をつくっていくために、私はHRは重要な位置づけにあると思っています。ぜひご一緒に。あっ、私は、もう違いますが。
安部 ぜひ、これからも。
──ありがとうございます。お二方とも日本CHRO協会の理事でいらっしゃいます。仲間を増やしながら進んでいければと思っています。ありがとうございました。
安部・中畑 ありがとうございました。
※本稿は、2024年11月21日開催の「第7回CHROフォーラム・ジャパン2024-DAY2-」の講演内容を編集部にてまとめたものです。
2025年2月18日