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CLOFORUM

2023年2月1日 

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経営法務

CLOの概念─議論のたたき台として 第10回

本間 正浩

日清食品ホールディングス株式会社 執行役員 CLO

五 CLOのあり方(承前)

2.CLOの陥穽-二足のわらじ(Multiple Hatting)

 前回は、CLOのあり方として、「パートナー」と「ガーディアン」の二面があること、そこには単なる対立ではなく、循環関係があることを議論した。今回はそこに潜むCLOのジレンマ、そして陥穽について検討する。

 これまで論じてきたように、CLOの根源的な価値は、企業における企業の意思決定のメカニズムの中にあって、これに影響を与え、これにより法務リスクの軽減と法務機会の促進という結果を現出し、もって、企業の生存および発展に寄与することにある。その価値を実現するためには、ビジネス活動に積極的・能動的に関わっていく必要があり、そして、そこでは、常にリスクと機会、そして実現可能性のバランスが要求される。その結果として、CLOは極めてしばしば「客観的な分析」にとどまるものではなく、「主観的な判断」を行う必要がある。

 ここに、CLOの究極的にして深刻なジレンマがある。

 一方において、CLOは法律専門家としての「客観的」な意見がある。他方において、CLOは企業そのものの一部である。CLOは意思決定過程の一部を構成しており、企業を動かしていく一翼を担っている。

 クレジットカード会社においてシステム障害によって正確な引き落とし額計算ができなくなったとしよう。ここでは、正確な計算をしなければならないという明らかな法的「正解」がある。しかし、そのような回答が企業にとって何の意味もないことも、これまた明らかである。各種の非法律要素も考慮し、バランスをとり、実効性のある対応を企業はしなければならない。ここで、CLOが「正確な利息計算を行うことが当社の義務である」とだけ回答することは、問題に対して企業が適切な行動を取ろうとしていることに、なんらの積極的な価値をもたらさない。このような姿勢を取る者の言葉が企業内において説得力をもつことはなく、その言を聞く者はいないし、それは当然のことである。結果として、そのCLOは、企業が適法・適切な行動を行うことについて、なんらの寄与もできないことになる。

 客観的な法律的分析を行う一方で 企業としての妥当な解決策の策定に積極的・能動的に参加した時点において、そのCLOは法律専門家としての活動に加えて、ビジネス活動そのものに参加したことになる。英語において「2つの帽子(Double(あるいはMultiple)Hatting)」と言われるゆえんである。さしずめ、「二足のわらじ」とでも意訳できようか。

 しかし、法律家としての帽子と、ビジネスの帽子が一致するとは限らない。むしろ、それらは互いに抵触することが普通である。法的な「正解」がある場合にすら、法的リスクの認識をしつつ、その「リスクを取る」という判断をしなければならないことがある。その調整に、CLOは悩むことになる。

 さらに分析すると、いくつかの問題を挙げることができる。

(一)単純な二項対立の問題ではないこと

 まず指摘しておくべきことは、「法」と「ビジネス」といっても、それぞれが別個のものとして独立して存在しているものでもなければ、両者が単純に対立するという構図でもないということである。これは、前回で述べた、「パートナー」と「ガーディアン」の循環構造の図式と同様である。

(二)CLOの「内面」におけるジレンマであること

 ここでの問題の本質は、ことがCLOの「内面」に関わるということである。

 外部からの圧力あるいは影響を受けるかどうかが問題ではない。仮に外部からの影響を一切遮断できたとしても、客観的な法的判断と、これに対峙する各種の非法律的要素が存在し、往々にしてそれらが抵触しあう中において、現実の方針を決定する必要性とのバランスを衡量しつつ決断しなければならないという、CLOの本質それ自体の中に問題が存するということである。

 真剣に考えれば真剣に考えるほど、問題は深まっていく。極めてしばしば、「正解」自体がそもそも存在せず、「グレー」の程度問題でしかない。一方において、厳しい競争環境の中で、ビジネスが生き残り、さらに成功するために、ビジネスを前に進ませなければならない。それは自動車レースにおいて、山腹に穿たれた崖道を深夜ヘッドライトだけを頼り切り抜けようとするようなものである。どこまでが道路で、どこから崖で、それを踏み越えると谷底にまっさかさまとなるのか、明確に認識することはできない。崖を避けようとして、反対側にハンドルを切れば、今度は絶壁に激突するかもしれない。「安全」をとってブレーキを踏めば、後続車に追い越されるか、下手をするとこれに弾き飛ばされるかもしれない。これはCLOである限り、必然的に付きまとうジレンマである。そして、このジレンマに直面し、その困難さを意識しつつ、いかにバランスの取れた判断を行うか、腐心しているところのものである。

 繰り返すが、そこに客観的、一義的な「正解」はない。

 その中で、どのように解決を見つけていくか。

 様々な意見が披露される。そのどれにも一定の理がある。議論を尽くしたところで一つの結論に収斂するとは限らず、誰もが真剣である。「話し合えば丸く収まる」といった牧歌的な世界ではない。むしろ、「皆が同じように考えるときは、誰も深く考えていない」(ウォルター・リップマン)。

 そのような中で、反対論のあるまま結論を立て、企業を動かさなければならない。そのためには、強固な自恃の精神と責任感、そして正しいことを企業にさせる、会社を守るという熱い思いが必要である。さもなければ他の意見に流されてしまう。時には反対を押し切ってでも、正しいと考えた判断を通すことが必要なこともある。

 しかし、そこに陥穽がある。「自恃」や「責任感」、そして「熱い思い」が「独善」に移行するのは極めて容易である。そこに客観的に認識しうる「境界線」は存在しない。

(三)企業の動態のジレンマ

 例えば法律事務所の弁護士の業務と比較したとき、CLOの業務のあり方との本質的相違の一つは、前者の依頼者へのかかわり方があくまで「案件」ベース、言いかえれば、単発的・偶発的であるのに対して、後者は継続する事業体としての企業そのものを対象とすることである。これがまた、CLOの「二足のわらじ」に関して深刻なジレンマをもたらす。

 留意しなければならないのは、企業の改善は一朝一夕にはできないことである。

 例えば、伝統的にコンプライアンス上の問題を内包した業界慣行があったとして、その中の一企業の経営陣が問題に目覚め、改善を志したとしよう。多くの幹部はその業界の慣行に慣らされており、法律を守れと言っただけで動くわけはない。「トレーニング」といったきれいごとだけで済むわけでもない。さらに深刻なことには、かかる慣行は当該業界のビジネス・モデルに深く見込まれており、経済的には一応の合理性がある。コンプライアンス上の問題といっても、法的には100%クロということもできない。これを変更するには企業の収益構造の大掛かりな変更が必要になるばかりか、究極的には業界全体のビジネス・モデルの改革が必要にすらなるかもしれない。

 ことを実現するためには、駆け引きや妥協といった政治的な動きも必要になろうし、人事的な対応も必要になる。最後には改革への非同調者を異動なり退職させるといった荒療治が必要になるかもしれない。さらには、ビジネスのやり方そのものを改革する必要が生じる。一企業の文化を変えるのは多大の努力と時間、そして経費を要する。それでも経営陣なり企業幹部なりが努力しようとしている場合、CLOはその努力のサポートをするのが責務である。しかし、それが成功するまでの間(しかも成功するという保証が必ずあるわけでもない)、不適正ないし不適切な企業行動は継続することになる。そしてその間、CLOは、問題が継続することを受忍せざるを得ない。

 現状が不適正ないし不適切だからといって、それを指摘して即刻の完全対応を要求し、それができない場合に企業の関係事業を全て停止せよと言い張るようなことではCLOの機能は達せられない。そのような言葉をビジネスが聞き入れることもなく(あるいは聞き入れることは不可能であり)、結局はなにも変わらない。まして、それが受け入れられないことを理由にして辞任するようではただの駄々っ子になってしまう。

 CLOは企業の意思決定過程に関与し、企業が正しく事業に従事するという結果を現出することをもってその意義とする。しかし、CLOの企業に対する影響力は、これもまた一朝一夕に得られるものではなく、試行錯誤、一進一退を繰り返しながら次第に向上していくものである。これはシニアなCLOにとってすら決して容易なことではない。

 CLOが初めから企業に対して多大の影響力を行使することは可能ではない。言い換えれば、CLOの意見が通らないことがあることが一種「生理的」現象として想定されうるということである。これをCLOの側から見れば、適切な影響力を得るまで企業が法的に問題を抱え続けることに手をこまねき続けなければならないことを意味する。

 ここに不都合な真実がある。影響力の拡大・深化という観点からすると、逆に問題が重大・深刻であればあるほど忍従を余儀なくされることになるということである。当然のことながら、ことが重大・深刻であればあるほど、それを正すのに企業内において大きな影響力が必要であるからである。

 企業におけるある問題が極度に重大・深刻であり、是正のために努力したがそれが功を奏しなかったとして、CLOはやむなく辞任の選択を得ざるを得なかったとして、そのCLOは「最善を尽くした」と満足を得ることができるのだろうか、それとも、もう少し忍耐深くしていたら、やり方を工夫していたらと悔いを引きずることになるのであろうか?

(四)CLOの影響力の増大とそのジレンマ

 それでは、企業の動態の中で、CLOが努力してビジネスの信頼を獲得し、企業の行動に対して強い影響力を得たとしよう。企業の皆がCLOのいうことを聞いて、その言に従う。それで「二足のわらじ」の問題は解決されるのであろうか。

 答えは「否」である。

 CLOがビジネスから強い信頼を得るようになること、あるいは、企業内において、高い地位と権限、なかんづく権威を有するようになることは、「二足のわらじ」のジレンマの解決にはならないばかりか、CLOにとってむしろ問題をより深刻ならしめるのである。

 影響力が増せば増すほど、CLOの判断が企業の最終的な意思決定により直接につながることとなる。CLOは企業の最高法務責任者である。まさに「背後にはもう誰もおらず」自分が決めなければならないという立場に置かれる。その結果として、CLOの肩に重い責任がのしかかる。その責任には、プロフェッショナルとして、企業に正しい行動を取らせ得たことと並んで、企業のビジネスに対する結果も含まれるのは必然である。その結果に対して影響力を有しているからである。自分の意見で「本当に」ことが「動いてしまう」のである。影響力を有している以上、責任を負うことは当然である。「言うべきことは言った。あとは社長が決めること」と達観してはいられない。その重圧は半端ではない。かかる重圧化においてなお、CLOは法律家として客観性を維持しつつ、かつ、企業の一員としてバランスの取れた判断をしなければならない。そこでは正解のない中、微妙な衡量が求められることになるが、その分だけ企業を誤った方向に導くリスクも、また不可避的に大きくならざるを得ない。

 「[企業内法律家]の役割は、[法律家]によって営まれる機能のうち、『最も複雑で、困難な部類に属する』」 (“「[T]he role of corporate counsel is among THE MOST COMPLEX and DIFFICULT of those functions performed by lawyers”)(強調引用者)」*1という言葉があるが、CLOはまさにそれが究極的に当てはまるといえよう。

参考文献:
*1 ジェフリー・C・ハザード・ジュニア、筆者監訳「企業内弁護士の倫理的ジレンマ」中央ロー・ジャーナル第18巻4号183頁

2023年2月1日

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