2026年7月1日

生命体から考える会社
第4回 会社の病気
—経営者は会社という生命体の主治医である—
谷口 宏
株式会社CFO本部 代表取締役社長
突然だが、あなたの会社に、こんな状態はないだろうか。
社員が楽しそうじゃない。
これが、最近最も気になる未病のサインだ。さらに言えば、経営者や経営陣自身も楽しそうじゃない、そんな声を協会活動の中でよく耳にするようになった。数字には出ない。指標にもならない。しかし、その場の空気として誰もが感じている。
他にも、こんな状態はないだろうか。優秀な人が辞めていく。会議は増えているのに何も決まらない。数字は達成されているが現場に活気がない。社内資料ばかり増え、会議資料はどんどん厚くなる。メールやチャットは飛び交うのに、本音の対話が減っている。「おかしい」と感じている人はいるのに、誰もそれを口にしない。
こうした状態を、多くの経営者は「まあ、どこの会社にもあること」として受け流してしまう。あるいは個別の問題として対処しようとする。離職率が上がれば採用を強化し、会議が長ければ会議のルールを変え、現場が疲弊していれば福利厚生を充実させる。
しかし、これらは別々の問題だろうか。これらはすべて同じ根から出ている「症状」である。そして症状を1つひとつ潰しても、根が変わらない限り別の症状がまた現れる。
東洋医学には「未病」という概念がある。まだ病気として発症はしていないが、身体のバランスが崩れ始めている状態のことだ。この段階で根本に手を入れれば、大きな病気を防ぐことができる。しかし、症状だけを見ていると、未病は見えない。今回は、この「未病」という視点から会社の病気について考えてみたい。
未病という考え方
東洋医学の基本的な前提は、西洋医学とは視点が異なる。西洋医学が病気の原因を特定し、それを排除することを得意とするのに対して、東洋医学は身体全体のバランスの崩れが病気を引き起こすという前提に立ち、全体を診ようとする。どちらが正しいということではなく、見ているものが違う。
未病とは、この考え方から生まれた概念だ。病気が発症する前の段階には、必ず身体のバランスが崩れ始めているサインがある。疲れやすい、眠りが浅い、食欲が安定しない。こうした状態を東洋医学では、病気ではないが健康でもない状態として捉える。
重要なのは、このサインを無視して症状だけを抑え続けると、やがて本格的な病気として発症するという点だ。逆に言えば、未病の段階で身体全体のバランスを整えることができれば、多くの病気は防げる。冒頭に挙げた様々な状態は、すべて未病のサインとして読むことができる。特に「社員が楽しそうじゃない」という状態は、組織の魂が失われ始めているサインであり、最も見過ごされやすく最も深刻なものだ。
症状は身体の言葉である
西洋医学は症状の除去を得意とする。これは、その発展の経緯と深く関係している。西洋医学が飛躍的に進歩したのは、第一次世界大戦の戦場においてだ。大量の負傷者を短時間で処置しなければならないという極限状態の中で、外科手術・麻酔・感染症対策が急速に発展した。戦場では、目の前の症状を素早く抑えることが最優先だ。この文脈で進化した医学は、症状を特定してそれを止めることを得意とする方向に発展した。
これは、戦場や急性疾患の治療においてはまさに正しいアプローチだ。しかし、東洋医学が示すように、身体に現れる症状は必ずしも「排除すべき敵」ではない。症状とは、身体が「ここに問題がある」と発しているシグナルであり、同時に「自分を治そうとしている」反応でもある。そのシグナルの意味を読まずに止めることは、問題を解決しているのではなく、問題を見えなくすることにつながりかねない。
経営において必要なのは、この症状を読むという視点だ。症状が出たとき、それを消すのではなく「これは何を語っているのか」と問うこと。これが、東洋医学が経営に示す最も重要な示唆である。
会社の症状も身体の言葉である
この視点を、会社に重ねる。
社員が楽しそうじゃない。数値にはならないのにこれほど雄弁な症状はない。人は志を持って働けているとき、自然と表情に出る。逆に、会社という場が人の生命エネルギーを削っているとき、それもまた表情に出る。楽しそうじゃないという空気は、組織の食事・運動・睡眠のどこかが、あるいは根本の魂が崩れ始めているサインである。
優秀な人が辞めていく。これは人事部門の問題ではない。優秀な人は、組織の中で何かが壊れ始めていることを、他の誰よりも早く感じ取る。辞めること自体が症状であり、そこには必ず組織の内側のバランスの崩れがある。
会議は増えているのに何も決まらない。これは会議の運営方法の問題ではない。何かを決めることへの恐怖が組織に広がっているからではないか。失敗が許されない文化か、責任の所在の曖昧さが広がっている。
社内資料ばかり増え、会議資料が多くなる。本音の対話が減り、形式的なやりとりだけが増える。これは組織が「見せるための仕事」に向かい始めているサインだ。誰かに説明するための資料が、実際に考えるための資料を凌駕し始める。
これらの症状は、それぞれ独立した問題ではない。すべて組織全体のバランスの崩れという同じ根から生えている。だから1つを対処しても、別の場所に症状が出る。
あなたの会社に現れている症状は、何を語っているだろうか。 症状の先にある根を見ているだろうか。
「症状を治す」と勘違いした経営手法
なぜ、このような症状が見過ごされるのだろうか。
その理由の1つは、多くの企業が症状そのものを読むことよりも、症状を管理する仕組みに意識を向けるようになっているからである。
本来、症状は身体からのメッセージである。しかし私たちはいつの間にか、そのメッセージを読むことよりも、症状を分類し、測定し、管理する技術の方に関心を向けるようになった。
症状を特定してそれを止めるという発想は、現代の経営の世界に深く浸透している。その1つがベストプラクティスへの過信だ。
いつからか、経営の世界にはベストプラクティスを参照し、その事例を目標にすることが当たり前になった。しかし、過去のベストプラクティスは、その時代の経営環境、競争状況、事業の成熟度、その企業固有の文化や人材の中で生まれた結果にすぎない。前提が変われば、必要なアプローチも変わる。別の患者に効いた治療法が、この患者にも効くとは限らない。
もう1つ、チェックリストの問題がある。チェックリストはもともと、現場での事故を防ぐための実用的なツールだった。パイロットが離陸前に計器を確認する、工場で安全項目を点検する。その目的では非常に有効だ。しかし、今やチェックリストは、経営の領域にまで入り込んでいる。
ゴルフの上達を例にとる。初心者はしばしば、スイングの連続写真を撮り、チェックポイントを1つひとつ確認しようとする(私もこのタイプである)。グリップはどうか、肘の角度は、体重移動は、フォロースルーは、など。しかし、本当に優れたプロのコーチはこのやり方を採らない。チェックポイントの列挙ではなく、重心管理とエネルギーの使い方という本質を教えることに集中する。本質をマスターすれば、その他のチェックポイントは自然と解決されるからだ。逆は真でない。チェックポイントをすべてクリアしても、本質を理解していなければスイングは改善されない。
経営も同じである。優れた企業を分析すれば、様々な優れた特性が確かに見出される。しかし、それは、理念とビジョンという根本があったからこそ、結果としてそれらの特性が育まれたのだ。その因果関係を逆にして、「優れた企業はこういう特性を持っているから、この特性を1つずつ整備すれば優れた企業になる」と考えることは、根本的に誤っている。
ガバナンスの限界――目的と手段の逆転
この問題が最も顕著に現れているのが、近年のコーポレートガバナンス強化の流れである。
コーポレートガバナンス・コードが示す原則の内容は、それ自体は間違っていない。取締役会の実効性を高めること、情報開示の透明性を確保すること、株主との対話を促進すること、などいずれも、企業経営が守るべき重要な原則だ。多くの経営者がこの原則を実現しようと真摯に取り組んでいることも知っている。
コーポレートガバナンス・コードの原則を1つひとつチェックリスト化し、未達の項目を課題として整備していく。この作業がガバナンス強化として行われる。しかし冷静に考えて、このチェックリストをすべて埋めた先に本当に強い経営はあるのだろうか。
繰り返しになるが、優れた企業を分析すればこうした特性を持っているということと、こうした特性を整備すれば優れた企業になるということは、まったく別次元の話だ。逆は真でない。
理念とビジョンが先にあり、戦略・組織設計・オペレーションはそれに従う。本来この順序であるべきなのに、ガバナンス対応の中で、手段が目的になっていないだろうか。チェックリストの項目を埋めることが経営改革となり、それを実行することが優れた経営の証のように見えてしまう。そうした逆転が、静かに広がっている。
投資家の視点を経営に取り入れることは重要だ。企業が社会に対して説明責任を果たすことも必要だ。しかし、投資家の視点だけで経営を設計することには根本的な限界がある。会社が本当に健康であるかどうかは、理念が生きているか、組織風土が健全か、働く人が志を持って動いているか、そうした外から数値で測れないものの中にある。投資家の視点を取り入れることと、投資家の視点だけで経営することは、まったく別の話だ。
KPIという処方箋の位置づけ
同じ問題は、KPIにも現れる。KPIは現場でよく使われる指標だ。目標に向かって進んでいるかを確認するための、有用な道具である。血圧・体温・脈拍が健康状態を示すバイタルサインであるように、KPIは組織の状態を示す指標だ。うまく使えば、早く異常に気づくことができる。
問題は、KPI自体が目的になったときに起きる。バイタルサインが正常値に入っていることは健康であることの必要条件だが、十分条件ではない。指標を改善することと、組織が本当に健康になることは別の話だ。KPI偏重の組織では、数値を改善するための行動が最優先になり、なぜその数値が悪化しているのかという根本への問いが後回しになる。
理念を共有した組織は、KPIが変わっても方向を見失わない。なぜそこに向かうのかが体に染み込んでいるからだ。逆に、KPIだけを羅針盤にしている組織は、環境が変わってKPIが変わったとき、トップからの修正指示がなければ誰も動けなくなる。
経営者は会社という生命体の主治医である
ここまで「症状を治すことと病気を治すことの違い」について論じてきた。しかし、実はこの回を通じて浮かび上がってきているのは、病気論ではなく、「経営者とは何をする人なのか」という問いへの答えだ。
ゴルフスイングの話に戻る。チェックリストのすべての項目をクリアしても、本質をマスターしていなければスイングは改善されない。しかし本質をマスターすれば、その結果としてチェックリストの項目は自然とクリアされる。
これが、「逆は真でない」ということの意味だ。優れた経営の結果として、ガバナンス指標もKPIも良好な状態になる。しかし、ガバナンス指標とKPIを整備しても優れた経営にはならない。この順序を間違えることが、現代の経営が陥っている最大の罠ではないか。
では、本質とは何か。理念と組織風土と人の志という根本を整えることだ。そしてそれを整えるのは、誰か。経営者である。
医師の仕事は、患者が訴える症状に対して処方箋を出すことだけではない。優れた医師は、患者が気づいていない身体の変化を察知し、病気が発症する前の段階で手を打つ。患者の生活習慣・食事・ストレス・体質、これらを全体として見て、そのバランスの崩れを感じ取る。これが「未病を診る」ということだ。
経営者の役割もこれと同じではないか。問題が起きてから対処することではない。問題が起きる前の変化を感じ取り、会社という生命体の健康を守ることだ。
会社には本能がない。身体が疲れれば眠くなるように、組織が弱れば自動的に警告が出る仕組みは存在しない。だからこそ経営者が、医師が患者の未病を診るように、会社という身体を丁寧に見続けなければならない。
経営者の役割は、問題を解決することではない。問題が起きる前の変化を感じ取り、 会社という生命体の健康を守ることである。
それが経営者という仕事の本質だと思う。
健康はそれ自体が目的ではない
ただし、1つ付け加えておきたいことがある。健康は、それ自体が目的ではない。
医師の本当の役割は、患者を健康にすることそのものではない。健康は、患者がやりたいことをやり、生きたい人生を生きるための前提条件にすぎない。健康管理そのものが目的化した人生があるとすれば、それは本末転倒である。
会社も同じだ。会社という生命体の健康、すなわち理念が生き、組織風土が整い、器官がバランスよく機能している状態は、それ自体が目的ではない。健康は、会社が本来の役割を果たすための前提条件にすぎない。
では、会社の本来の役割とは何か。それは、人で言うところの魂にあたる、理念や志を社会の中で実現することだ。健康な肉体があってはじめて、魂は十分に発揮される。しかし、健康な肉体それ自体は何も生み出さない。
経営者の本当の役割は、健康を守ることそのものではない。健康という前提条件を整えながら、なぜこの会社が存在するのかという会社の魂を、社会の中で実現し続けることだ。主治医であることは、経営者の役割のすべてではない。それは、もっと大きな何かを実現するための、欠かせない土台である。
まとめ
症状を消すことと、病気を治すことは違う。
ベストプラクティスの適用、チェックリストの整備、KPIの管理。これらは道具である。使いこなすことに問題はない。しかし、道具を目的と混同したとき、経営は本質から離れていく。コーポレートガバナンス・コードの原則は正しい。しかし、その原則をチェックリスト化し、項目を埋めることを経営改革と呼ぶとき、目的と手段の逆転が起きる。
未病を診るとは、症状の先にある根本を見ることだ。理念・組織風土・人の志、この根本を整えることが、会社の病気を本当に治す道である。そしてその根本を整える責任を負うのが、会社という生命体の主治医としての経営者だ。
次回予告
これまで、会社という生命体の内側を見てきた。魂としての理念、器官としての組織機能、食事・運動・睡眠という習慣、そして未病を診る経営者の役割。しかし、会社は内側だけで成り立っているわけではない。会社を実際に動かしているのは、そこで働く一人ひとりの人間だ。
前回、会社の食事について、何を取り込むかが会社をつくるという話をした。会社は資本と人材を取り込んで生きていると。しかし、取り込まれる人の側から見ると、この同じことはまったく違って見える。人は自らの時間・能力・情熱、そして人生を、その会社に投じているのだ。会社にとっての食事は、人にとっては投資である。多くの人は、それを投資だと考えたことがない。しかし人は日々、最も貴重なものを会社に投資している。次回は、この「人の投資」について、じっくり考えてみたい。
2026年7月1日





