2015年4月15日
キャリア形成とMBA要否論
古森 剛
株式会社CORESCO
代表取締役
多くの意欲ある人材にとって、依然としてビジネススクールにおける経営学修士(通称MBA)は経験に取り入れたい有力な選択肢の一つであり続けている。一方、巷では毎年のように、「もうMBAの時代ではない」「MBAは実際の事業には役に立たない」といった話を耳にする。今回は、この点についてキャリア形成の観点も踏まえつつ自説を述べさせていただきたいと思う。
実業へのインパクト~自己の体験として
筆者は、1990年代後半に当時勤務先だった日本生命の社費派遣でMBAを取得する機会を得た。その機会を得たことに今でも感謝しているが、MBAからの帰任後に履修内容がそのまま役に立つ場面は少なかった。当時は人事部に在籍し、人事異動や要員マネジメントなどを担当していたが、その時の業務に役立つものは、社内的で有機的な情報の方が多かった。日系大企業で終身雇用と定期異動を前提にした人事異動担当主任の実務というのは、そういう側面が強いからだ。
しかし、それとて私の考え方次第では違ったものになっていたのかもしれない、と今は思う。当時、会社全体の財務会計の情報を経営者並に俯瞰して人事異動を考えていたわけではなかった。要員マネジメントの議論をする際に、各組織の業務内容と席数だけでなく、仕事のオペレーションを動態的にとらえて、改善視点まで持ったうえで取り組めたわけでもなかった。それを明示的には求められていなくても、自分で意図すれば視野には入ったはずだ。そういう意味では、MBAの履修内容を活かす機会を作れなかったのは、会社だけではなく自分自身のスタンスでもあったと思う。本当は、業務に役立てることができたはずだ。
経営コンサルタントになってからは、MBAでの履修事項はコンサルティングという「実業」には大いに役立った。ただし、世間がコンサルティング事業に対するステレオタイプとして想定するような役立ち方ではなく、もっと本質的なことだ。クライアント企業内の多くの方々が各自の機能分野からしか課題を見ることができないような場面で、その場で瞬時に機能横断的な視点で良質な問いを投げかけることができるのは、やはりMBAの視点があったからだ。あるいは、クライアントの方々が断片的な情報しかない状況下で判断をためらっているような場面で、曲がりなりにも統計的に有意な情報を拾い出して、現実の意思決定に生かしていただくことができたのも、クライアント企業の経営そのものに対する意味のある貢献だったと思う。私は、統計学はMBAに行って初めて学んだが、その実際的で応用的なアプローチが非常に良かったと感じている。
外資系企業の現地法人経営者の立場になってからは、MBA時代に経営分野の基礎を網羅的に体験しておいて、本当に良かったと痛感した。経営者は常に忙しく、さまざまなストレスにさらされながら短期のことも中長期のことも対応せねばならない。新たに学問的な基礎の体得に時間を使うのは、不可能とはいわないが相当難しい。就任したその時から、課題を積んだ特急列車に飛び乗らねばならないような状況にあって、MBAの基礎が既に自分の中に存在したことは、大きな助けになった。
そして何よりも役に立ったのは、MBAの場で世界中から来た数多くの異なる個性に接し、意見を交わし、苦しみながらも共同作業をする経験を得たことだろう。多様性に満ちた世界を舞台に仕事をする際の対人感覚、対組織感覚を身に着けることができたのは、MBAの経験に負うところが大きい。だからこそ、グローバル化した仕事場面で、外国の方から強い調子で攻め込まれてもびっくりせずに対応することができる。「またあんなこと言って…どうせ本音はこのあたりでしょ」といった感じで、冷静に見ることができる。筆者自身の感覚としては、MBAの経験はさまざまな局面で実業的なインパクトを生んでいると感じている。
金科玉条ではなく、役立つものの一つに過ぎない
したがって、MBAというものを志向する人がいた場合、筆者としてはそれを応援したいと思う。ただし、ひとつだけ絶対に避けたいのは、「MBAに行きさえすれば、◯◯が得られる」という考え方をすることだ。
物事には運の要素があり、実際の事業にもさまざまな局面がある。MBAの経験は、意識と努力と運の合わせ技で実業に生かすことが可能だが、それだけで事業が遂行できるなどということは、ありえない。また、意識と努力と運の合わせ技が成り立たない場合には、MBAが役に立たない場面も多々あるだろう。MBAというのは、万能でも何でもない、単なる「良いオプションの一つ」に過ぎないのだ。
また、本人だけでなく、世間としても、MBAを記号的にとらえて万能視することは避けるべきだ。それは世間(社会)の思考停止でもある。勝手に万能の期待をして、現実の中で万能ではないことを知り、勝手に失望するような傾向もなきにしもあらずだ。これは、大変残念なことだ。
キャリア形成を考える中で、MBAを志向する人も、それを眺める人も、MBAというものを経営人材の一側面を鍛える有効な選択肢の一つとして冷静にとらえるようにしていくべきだ。「もうMBAの時代ではない」などということはありえない。未来永劫、MBAには有効な側面がある。一方で、「MBAなら必ず◯◯になる」などということもありえないのだ。まさに実業的経営感覚をもって、MBAについて論じたいものだ。
2015年4月15日