2026年4月1日

生命体から考える会社
第1回 あなたの会社は、健康ですか
谷口 宏
株式会社CFO本部 代表取締役社長
突然だが、あなたの会社は健康だろうか。
「健康な会社」と言われると、少し曖昧に聞こえるかもしれない。
売上が伸びていれば健康なのか。利益が出ていれば健康なのか。株価が上がっていれば健康なのか。もちろん、そうした指標も重要である。だが私たちは経験的に知っている。同じ業界で、似たようなビジネスをしていても、ある会社は活力に満ちており、別の会社はどこか停滞している。数字だけでは説明しきれない違いが、確かにある。
私は2000年に日本CFO協会を設立して以来、25年にわたりCFOをはじめとする経営者や財務部門の方々を支援してきた。2018年には日本CHRO協会、2020年には日本CLO協会も立ち上げ、コーポレート部門全般の方々と向き合っている。その中で繰り返し感じてきたのは、企業の違いは戦略や制度だけでは説明しきれないということだ。もちろん、戦略もガバナンスも重要である。だが、それだけでは捉えきれない。会社には、数字では表しにくい「健康」や「活力」のようなものがあるのではないか。そんな問いが、ずっと頭のどこかに残っていた。
会社を理解するにも「生命」という視点が必要なのではないかと思うようになった。なぜなら、人は生命であり、会社はその生命である人が集まってできているからだ。会社もまた、生命的な視点から見直してみることができるのではないか。本連載は、企業と経営を「生命という視点」から見つめ直す試みである。
まずは連載全体を見渡せるように、3つの気づきから話を始めたい。
会社にも「食事・運動・睡眠」が必要だ
人が健康を保つために必要なものは何か。まず、身体の器官が正常に機能することが前提にある。心臓が血液を送り、脳が判断し、腸が栄養を吸収するなどである。しかし、それだけでは健康は維持できない。健康の3原則とは、「食事」「運動」「睡眠」だそうである。実は、これは会社にもそのまま当てはまる。
まず、会社にとっての食事は、外から取り込むものをどう選ぶかという問題だ。端的に言えば、それは資本であり、人である。どのような投資家から資本を受け入れるのか。どのような人に仲間として加わってもらうのか。会社は、取り込むものによって姿を変えていく。身体が何を食べるかによってつくられるように、会社もまた、どのような資本と人を受け入れるかによって、その社風や文化が形づくられる。短期的な回収圧力の強い資本ばかりを受け入れれば、経営判断は短期化しやすい。報酬だけを動機として、すぐに多くを求める人ばかりが集まれば、組織の空気も変わっていく。会社にとっても食事は、量だけでなく、何を食べるかという質が決定的に重要なのである。
会社にとっての運動は「事業活動そのもの」だ。市場に向き合い、顧客と接し、試行錯誤し、改善し続ける。筋肉は使わなければ衰えるように、会社もまた挑戦しなければ衰える。過去の成功体験に寄りかかり、変化に背を向けた組織は、見た目には安定しているようでも、少しずつ力を失っていく。運動には負荷がある。疲れる。だが、負荷をかけない身体が弱るように、負荷のかからない組織もまた弱る。
食事と運動はわかりやすい。では、会社にとっての睡眠とは、何だろうか。
休眠会社のことではない。また、時間外のことでもない。人間は睡眠中に疲労を回復し、記憶を整理し、経験を定着させる。会社も同じである。走り続けるだけでは、経験は知恵にならない。立ち止まり、振り返り、学び、修復する時間が必要である。会議をすることではない。形式的な反省会でもない。自分たちは何を学んだのか、何をやり直すべきか、誰を休ませ、何を整えるべきかを真剣に考えることだ。
振り返りや学習の場を持つ会社は短期的には遠回りに見えても、中長期では強い。それらを持たない会社は、一時的には走れても、同じ失敗を繰り返し、やがて競争力を失っていく。睡眠を削った人間が最初は気力で動けても、やがて身体を壊すのと同じである。
食事・運動・睡眠。これは個人の健康を支える3つの習慣であると同時に、そのまま経営の話でもある。しかし、人間と会社では大きな違いがある。
人間と会社の大きな違い
人間の身体には、健康を維持するための「本能」が備わっている。空腹を感じ、眠くなり、疲れを覚える。痛みを感じれば、そこに異常があるとわかる。これらはすべて、生命が自らを守るための仕組みである。私たちは健康の仕組みを理解していなくても、基本的に身体が勝手に守ってくれる。これが人間の持つ本能だ。
しかし、会社は違う。
会社は空腹を感じない。眠くもならない。疲れたとも言わない。だから、放っておけば、いくらでも働き続けてしまう。いくらでも会議を増やせる。いくらでも投資を先送りできる。いくらでも短期利益を優先できる。
それは、「会社には本能がない」からだ。
このことは、経営を考えるうえで決定的に重要だと思う。経営とは何かと問われると、私たちはつい、「利益を上げること」であり「企業価値を高めること」と答えたくなる。もちろん、それも大切だ。しかしそれは結果であって、本質ではないのではないか。
経営の本質は、本能を持たない会社という身体の健康状態を見極め、必要な調整を行うことにある。会社の健康は、誰かが意識的に診なければ保たれない。どこが疲れているのか。どこに歪みが出ているのか。何を休ませ、何を鍛え、何を補給しなければならないのか。会社が自分で訴えてこないからこそ、経営がそれを感じ取らなければならない。
多くの不祥事や経営危機を見て思うのは、ほとんどの場合、その前兆があったということだ。誰かが違和感を持っていた。数字には出ていなくても、空気が変わっていた。人も辞めていった。社会との接点が弱くなっていた。だが、それを見ようとしなかった。あるいは、見えていても向き合えなかったのだ。会社に本能がないという事実を直視しなければ、こうした前兆は見落とされ続ける。
だからこそ、経営には生命理解が必要になる。健康とは何か。病気はどう起きるのか。人はなぜ動き、なぜ疲れ、なぜ回復するのか。生命の仕組みを知らずして、生命的な組織を健康に保つことはできないのである。
最も意識されないものが、最も根本的なものである
食事・運動・睡眠は、誰もが意識して取り組むものだ。何を食べるかを考え、運動の習慣をつくり、睡眠の質を気にする。だが、健康どころか、生命を維持するためにもっと不可欠なものがある。それは「呼吸」である。
私たちは1日に2万回近く呼吸していると言われる。だが、そのほとんどを意識していない。当たり前すぎるからである。だが、呼吸が止まれば、他のすべては意味を失う。呼吸は、最も意識されないが、最も根本的な生命活動である。
では会社にとっての呼吸とは何か。私は、それは社会との接点だと考える。
企業は、顧客、投資家、取引先だけでなく、地域社会もしくは全世界や自然環境との関係の中で存在している。にもかかわらず、多くの企業人はこの接点をあまり意識しない。顧客がいるのは当然、取引先があるのも当然、特に、地域や社会は、存在していることが当然だと思ってしまう。呼吸のように。
だが、社会との接点が失われたとき、企業は急速に弱る。
人間の呼吸は、ふだんは無意識に行われている。だが、意識して深く整えることで、心身の状態は変わる。いわゆる呼吸法である。人間が意識的に自律神経に働きかけるとき、呼吸は数少ない接点になる。会社もまた同じではないか。ふだんは当たり前すぎて意識されない社会との接点も、意識して整え、深めることで、企業のあり方そのものを変えていくことができる。
顧客の声が届かなくなる。地域との関係が薄くなる。自然や環境とのつながりをコストとしてしか見なくなる。そうした状態は、呼吸が浅くなった身体に似ている。表面的には動いていても、内側では確実に弱っていく。逆に、社会との接点を意識的に深めている会社は、変化への感度を保ち、自らを整え続けることができる。
社会との接点を軽視した結果、一気に信頼を失っていった企業をいくつも見てきた。不祥事や不正を契機に転落していく企業は後を絶たない。会社にとっての呼吸は、規制対応でもCSRやESGでもない。生命として存在し続けるための、最も根本的な営みである。
この連載で見ていくこと
ここまでの3つの話は、この連載の入口にすぎない。これから先、本連載では次のような問いを順に考えていきたい。
まず、人は何によって動くのか。
情・愛・志という行動原理をたどり、人がなぜ意欲を持ち、何に心を動かされるのかを考える。
次に、生命とは何か。
ATPや腸脳相関、微生物との共生といった生命科学の知見を手がかりに、人間という存在の基盤を見つめる。
さらに、会社の病気とは何か。
なぜ真面目な会社が不祥事を起こすのか。なぜ組織は疲弊するのか。「未病」という視点から、会社の異変を考える。
そして、人の投資と資本の投資。
企業には、人が自分自身を投資する側面と、投資家が資本を託す側面がある。この2つの投資をどう捉えるかによって、企業の存在意義の見え方は変わってくる。
最後に、自然の摂理と企業の持続性。
企業に適切なサイズはあるのか。成長とは何か。持続性とは何か。自然界の論理と企業の論理を重ねながら考えてみたい。
会社を生命体として見るということは、単に例えて遊ぶことではない。企業や経営を、より深く、より根本から理解しようとする試みである。
次回は、人は何によって動くのか、人を動かすものの正体を探りたい。どれほど優れた仕組みや制度を整えても、人が動かなければ会社は動かない。会社が生命体であるとすれば、その生命を実際に動かしているのは人である。
2026年4月1日





