2026年5月8日

生命体から考える会社
第2回 人とは何か、生命とは何か
―人を動かすものの正体―
谷口 宏
株式会社CFO本部 代表取締役社長
会社の健康を保つことが経営の役割である。前回はその話をした。
食事・運動・睡眠・呼吸。生命体としての会社を維持するためには、これらの機能を意識的に整える必要がある。そして、それを行うのは人間でなければならない。なぜなら会社には本能がなく、自ら健康を守る仕組みを持っていないからだ。
ここで1つの問いが生まれる。その経営を担う「人」はいったい何によって動いているのだろうか。
どれほど優れた仕組みや制度を整えても、人が動かなければ会社は動かない。会社を実際に動かしているのは人だからである。では、人は何によって動くのか。この問いに向き合うことなしに、会社という存在を本当に理解することはできない。
人の行動の出発点には「情」がある
誰かを助けたいと思う。理不尽なことに違和感を覚える。価値あるものを届けたいと感じる。こうした感覚は、理屈よりも先に、内側から自然に立ち上がる。情とは、内側から湧き上がる生命エネルギーである。人はまず、このエネルギーによって動き出す。
例えばCFOの仕事を考えてみる。企業のビジョン実現のために巨額の投資が必要だとわかったとき、財務数値だけを見てリスクを列挙し「反対」と言うだけなら、誰でもできる。本当に優れたCFOは、その投資がどうしても必要だと判断したとき、最悪のシナリオを徹底的に想定し、それでも会社が破綻しない資金構造を設計し、事業側と同じ熱量で投資の成功に関わっていく。リスクを管理しながら、同時にリスクを引き受ける。この矛盾を抱えて動けるのは、財務の論理だけではない。会社のミッションへの情がなければ、この行動は生まれない。
これは合理的な判断の話ではない。会社のミッションに対する、内側から湧き上がる共感と熱量の話だ。その情がなければ、リスクを引き受けて行動することはできない。経済学が描く合理的な利益最大化では、この行動は説明できない。
条件が整っていても力を発揮できない人がいる一方で、決して恵まれていなくても生き生きと働く人もいる。この違いは、合理性だけでは説明できない。情という、目に見えないエネルギーの差である。
情は他者へ向かい「愛」になる
この情という内側のエネルギーが他者へ向かうとき、それは「愛」と呼ばれる状態になる。愛とは、生命エネルギーが他者へ向かい、関係性を生み出していく力である。人は一人では生きられない。他者との関係の中で、はじめて価値を生む。情が個の内側にとどまるとき、それは動機であるが、他者へと広がったとき、はじめてそれは愛に支えられた組織の力になる。
では、「愛のない組織」ではどうなるのか。それは数字の目標を持ち出したとき、見えやすくなる。売上目標何兆円、ROE何パーセント。こうした数値目標は、株主をひきつけることはできても、働く人に何をもたらすのだろうか。売上とは、市場がその商品やサービスを評価した結果の数字である。それはあくまでも結果であって、目標として人の前に掲げるものではないはずだ。数字には情も愛もない。
むしろ近年見られるのは、株主からの過剰な数値要求が現場に伝わり、過度なストレスを生み出し、押し込み販売や不正取引、さらには粉飾といった危険な方向へ組織を誘引するケースだ。これは個人の倫理の問題ではない。愛のない目標が組織に与える歪みの問題である。
会社の中で「この人のためなら」と思って動いた経験は、多くの人にあるのではないだろうか。理念や戦略よりも先に、人と人の関係性がエネルギーを生み出している。愛が組織の中を流れているとき、人は役割を超えて動くのだ。
愛に方向が与えられると「志」になる
しかし、情や愛はそれだけではまだ方向を持たない。そこに方向が与えられたとき、それは「志」となる。
志とは、生命エネルギーが社会に向かって方向づけられた状態である。個人の内側にあったエネルギーが、他者を経て、社会へとつながる。このとき、行動は安定し、持続性を持つようになる。志がある人は、状況が変わっても大きくぶれない。なぜなら、行動の基準が外側の評価や報酬ではなく、内側から発した方向性にあるからだ。
この「志」という言葉を、改めて体感させてくれたのは、最近知り合った有機農業家の方々だった。有機農業家は日本ではわずか1割にも満たない存在だが、例外なく、安心安全な食品を届けたい、自然環境を取り戻したいという高い志を持つ経営者だ。
大手化学メーカーのエンジニアを辞めて家業を継いだ丹波篠山市の農業家にもお会いした。自らの圃場のみならず、地域全体の土壌環境を整えるには、周囲の里山の整備が必要ということで、自ら里山の復興にも励み、50年後の未来の自然環境を想定して働いている。自分の利益にとどまらず、地域全体の50年後を想定して働くその姿は、短期経営が叫ばれる現代に対する、静かだが強烈な問いかけでもあった。
もちろん、志とはすぐに生まれるものではないかもしれない。情を持って動き、愛が育まれ、そして時間をかけて方向性が定まっていくものなのかもしれない。
志を失った経営がどのような結末をもたらすかは、われわれは知っている。優良企業と称えられてきたにもかかわらず、長年にわたって組織的な不正が続いていたケースも少なくない。かつてはビジョンと熱量を持っていたはずの経営者が、なぜそこに至ったのか。それは能力の問題でも知識の問題でもない。志というエネルギーが、どこかで別の方向に向きを変えてしまったことの帰結ではないだろうか。
重要なのは、このエネルギーの流れは自然に完成するものではないという点である。人は意識しなければ、内側のエネルギーを情のままに使い続けてしまう。情を愛へ、愛を志へと高めていくプロセスには、意識と経験の積み重ねが必要になる。そしてそこに、人の成長の本質がある。
人の行動はエネルギーの流れとして捉えられる
ここまでを整理すると、人の行動はエネルギーの流れとして捉えることができる。
情は内側から生まれる生命エネルギーであり、愛は他者へ向かう関係性エネルギーであり、志は社会へ向かう方向づけられたエネルギーである。人の行動とは、このエネルギーが外に現れた姿だ。
経営の現場でこの視点を持つと、見えてくるものが変わる。ある社員がなぜ動かないのかは、やる気の問題ではなく、エネルギーの流れが詰まっている問題かもしれない。情は持っているが、他者への愛につながっていない。あるいは愛はあるが、それが社会への志に昇華されていない。仕組みや制度を整えることと同じくらい、このエネルギーの流れを整えることが、経営者の本質的な仕事ではないだろうか。
生命として人を見ると何が見えるか
では、このエネルギーはどこから生まれるのか。この問いは、生命という視点から見ると理解しやすい。
生命は、エネルギーの循環によって成り立っている。呼吸し、食べ、動き、休む。その中でエネルギーは生まれ、流れ、使われる。人の中に生まれる情や愛も、この生命の循環の中から自然に立ち上がってくる。ここで重要なのは、こうして生まれるエネルギーをどのように使っていくか決めるのは、頭脳だけではないということだ。エムラン・メイヤー博士は著書『腸と脳』の中で、脳と腸が神経・内分泌・免疫のネットワークで密接につながり、絶えず双方向に会話していることを示している。腸内には数百兆ともいわれる微生物が存在し、その状態が免疫・代謝・精神状態、さらには性格や意思決定にまで影響を与えているという。
「直感」ですら科学的に説明できるというのだ。私たちが「なんとなくこれは違う」と感じる感覚は、単なる気のせいではなく、腸内細菌が織りなす内臓感覚に強く影響されている。過去の経験が身体反応として蓄積され、状況に応じて瞬時に再現される。それが直感の正体なのだ。つまり、人の情は頭の中だけで生まれているのではなく、腸を含む身体全体の状態の表れである。「腑に落ちる」とは正にこのことで、昔の人はこの原理を理解していたことになる。
体調が悪いとき、人は前向きな情を持ちにくく、身体が整っているとき、人は自然と他者への関心が広がる。これは「気合いが足りない」という話ではない。生命としての人間の、腸内細菌が関係した根本的な仕組みである。
ところで、私たちは食べたものは「体の内側に入っていくもの」と思いがちだが、実はそうではない。食べたものは「体の中に入る」のではなく、食道や胃と同じく腸という器官のおかげで「体の外側」にとどまり、腸内細菌の働きによって必要な栄養素だけを体内に取り込んでいるのだ。体に危険なものは取り込まず排出する(下痢はその症状なのだ)。腸とは、外界と体内をつなぐ精巧なフィルターであり、腸は、植物の根と同じ構造をしているのだ。
植物の根も、腸と同じように外界と植物をつなぐフィルターだ。根は、人間の腸内細菌に相当する菌根菌などの微生物に、自分が光合成でつくり出した炭素を提供し、その代わりに窒素や微量元素を微生物からもらう。植物を実際に支えているのは菌根菌などの土壌細菌であるように、人間を形づくっているのは腸内細菌なのだ。
土壌を学び植物のことを学ぶことは、腸内細菌を知って人間を知ることであり、人間が集まってできた会社を学ぶことにもつながるはずである。
土壌の微生物のバランスが農作物の質を左右するように、腸内の微生物のバランスが、人の感情の質(つまり情の質)に影響を与えている。人の内側から立ち上がる「情」は、その人の身体全体の状態、そして腸内という見えない環境から生まれている。
近年問題となっている農薬や化学肥料が農業で普及した結果、土壌内の微生物の多様性が失われてきたように、均質化された会社という環境でも、そこで働く人の感性や発想もまた少しずつ均質になっていく可能性がある。それは誰かの意図ではない。しかし、環境が人の内側に影響を与えるという生命の構造を考えれば、避けがたい帰結ではないか。
人の情の豊かさは、その人が置かれた環境の豊かさと、切り離して考えることができない。
人格は「行動の集積」であり、企業文化もまた然りである
生命全体の状態が情を生み、情が愛となり、志となって行動を生む。そして、その行動が積み重なったものが、その人のあり方を形づくる。人は、考えた通りに生きるのではなく、行動した通りに形づくられていく。
人格とは、行動の履歴である。どれほど立派な理念を掲げても、行動が伴わなければ何も生まれない。一方で、日々の小さな行動は確実に積み重なり、やがてその人らしさとなる。考えや言葉ではなく、行動こそが人格をつくる。
この構造は、そのまま会社にも当てはまる。企業文化とは、理念でもスローガンでもない。日々の意思決定、現場での行動、人との向き合い方、その一つひとつの積み重ねが企業文化として定着する。人において行動が人格をつくるように、会社においては行動が文化をつくるのだ。
だとすれば、企業文化を変えたいと思うなら、スローガンを変えるのではなく、日々の行動を変えることから始めるしかない。そしてその行動を変えるためには、行動の源にある情・愛・志のエネルギーの流れを整えることが必要になる。
人を直接コントロールするのではなく、エネルギーの流れを妨げている構造を取り除くことが、結果として組織の力を引き出す。会社という場が、人の生命を豊かにするのか。それとも、じわじわと均質化させていくのか。この問いは、次回以降でさらに深く考えることにする。
まとめ
人は、生命として存在している。その内側にはエネルギーがあり、それは情として立ち上がり、愛として他者へ向かい、志として社会へとつながっていく。そして、その行動の積み重ねが人格を形づくる。
このエネルギーの流れは、頭の中だけで完結していない。腸脳相関が示すように、生命全体の状態が情の質に影響を与えている。土壌の微生物が作物の質を左右するように、人が置かれた環境が、その人の情の豊かさを形づくる。
会社という環境が、人の生命を豊かにするのか、それとも均質化させていくのか。この問いは、これからの経営の本質に関わる問題である。
次回予告
では、この「人」という生命の構造を、会社に当てはめると何が見えるのか。脳・心臓・血液・免疫・腸といった人体の器官を会社に重ねることで、組織の本質が見えてくる。また、食事・運動・睡眠という個人の健康習慣が、そのまま企業の健康にも当てはまることを考える。
次回は、会社という生命体の内部構造を探りたい。
2026年5月8日





