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東芝は無用、東芝の事業は有用

森本 紀行

HCアセットマネジメント株式会社
代表取締役社長

 企業としての東芝が破綻して消滅しようが解体しようが、どうなったところで、東芝の事業が継続し、顧客と取引先に迷惑がかからず雇用も継続する限り、金融的に多少は面倒なことがあるにしても、社会全体にとっては大きな問題ではない。逆に、社会全体にとって最大利益になるように、東芝問題を処理すべきである。

事業先にありき

 原理的には、ある事業を永続的なものとして開始するために、その推進主体としての企業が設立され、その事業の継続遂行のためにのみ企業の存続が求められるにすぎず、時間の経過とともに、企業が先にあって事業を遂行しているように当の企業が錯覚するに至るとしても、企業の原点において事業が先にあることは断じて動かし得ない。

 しかし、企業は創業の事業に加えて順次事業の数を増やしていく。いわゆる多角化だが、そこにはコーポレートガバナンス上の大きな問題点を指摘できる。多角化が事業の合理性の視点でなされているのか、それとも企業先にありきの論理により、企業内部の都合で企業の存続自体を目的化してなされているのか、必ずしも明瞭でない場合が多いからである。

 今日の大企業においては、事業と企業が同一である場合は稀有であって、複数の事業を営むのが普通だから、企業と事業は全く次元の異なるものになっているのである。したがって、コーポレートガバナンスも、下部の事業の次元におけるものと上部の企業の次元におけるものとは、峻別されなくてはならないのだが、コーポレート即ち企業のガバナンスというからには、その核心部が企業の次元にあることは間違いない。

コングロマリットディスカウント

 企業の次元におけるコーポレートガバナンスの要諦は、いうまでもなく複数の事業間の真の有機的連結に基づく新たな付加価値を創出できること、即ち事業価値の単純合計値よりも大きな企業価値を創出できること、簡単にいえば1足す1が2よりも大きくなることに帰着する。しかし、この要請は実現することが極めて難しい。

 このことは、古くからコングロマリットディスカウントという現象として知られてきた。多数の独立した事業を営むコングロマリットの場合、企業の株式の時価総額が各事業の理論価値の合計を下回ることが多いのだ。コングロマリットディスカウントが慢性化する状況では、株主に対する責任が十分に果たされているとはいえないので、ディスカウントが解消するように会社分割や事業譲渡等を検討しなくてはならない。これがコーポレートガバナンスの要諦である。

 このことは、コングロマリットといえない企業、即ち事業間に相互連関があるようにみえる企業の場合にも当てはまる。産業構造は速く変化するのだから、事業結合の合理性も時間の経過とともに失われていくわけで、企業経営はそうした環境変化に常に適合していかなくてならない。それがコーポレートガバナンスの要請である。

東芝におけるコーポレートガバナンスの不在

 さて、今世を騒がしている東芝だが、これなどコーポレートガバナンスが全くなっていない事案なのである。東芝のもつ多数の事業は、その多くが高い事業価値をもつものであり、その価値は企業としての東芝の混迷にもかかわらず、基本的には不変なのであろう。そして、間違いなくいえるのは、その各事業の価値の合計値を大きく下回るところに、時価総額で評価される現在の東芝の企業価値があるということである。故に、客観的な事実として東芝のコーポレートガバナンスが全く機能していないことは明らかである。

 東芝の現況というのは、原子力事業等の特定の事業の損失により、他の事業の価値が消し飛んでしまっているということだが、その損失は過去の経営判断に起因するものである。重要なのは、もはや動かし得ない過去ではなくて自由に設計し得る未来だ。

 では、今の東芝の経営において、将来に向かって企業価値を事業価値の合計値にまでに戻す真剣な努力がなされているかというと、到底そのようにはみえない。単に企業の存立だけを自己目的化し、価値ある事業の切り売りを急ぐのみである。

 なぜ事業売却を急ぐかというと、売却益を計上しない限り原子力事業等に内包する損失を埋めることができないからであり、なぜ損失を埋めなければいけないかというと、そうしなければ企業の存亡が危機に瀕するほどの巨額債務超過になるからであって、そこには企業の存立だけが目的としてあり、その存立の目的であるはずの戦略はない。こういう事態をコーポレートガバナンスの不在というのでなくして、何と呼ぶのか。

 そもそも、簡単に事業の切り売りができるということなら、事業結合の付加価値という本来の企業としての東芝が追求してきたはずのものは、何らの実態もなかったということなのか。東芝というのは、単なる無秩序な事業の集合だったということなのか。

 東芝の価値は、第一義的に東芝の個々の事業価値の単純合計であって、東芝という企業は、第二義的にその上に事業結合による付加価値を創造するためだけにあるのである。にもかかわらず、今の東芝では事業と企業の地位が逆転して、企業の存立だけが経営課題になってしまっている。

企業経営者の不在

 コーポレートガバナンスの二層、即ち事業経営の次元と企業経営の次元、この二つが全く異なることについて、日本の経営者は深く反省すべきである。東芝には、明らかに事業経営者はいるにしても、企業経営者はいない。このことは、実は日本のほとんどの企業に当てはまる。ここに、日本のコーポレートガバナンス改革の最大の論点があるのである。

 東芝の問題は、第一に大きな損失を内包するとされる原子力事業等の事業の次元にあるが、その損失は過去の問題である以上、未来へ向かっての事業価値の再建は、事業内部の合理性に基づく技術的な問題として、それに相応しい人材によって処理されればいいことである。それは、もはや東芝という企業の問題ではない。

 企業としての東芝の問題は、傘下の事業を相対化し、いわば投資家としての能力においてそのポートフォリオ価値、即ち事業結合の付加価値の最大化を志向することに他ならない。故に、そのガバナンスに求められることは、傘下事業のガバナンスに対する監視機能と、ポートフォリオ構築の効率化と合理化だけである。

 東芝のガバナンス問題は、第一に傘下事業の管理態勢が全く整っていないこと、第二に事業よりも高次元において傘下事業の価値を客観的に評価する能力の欠如、第三にポートフォリオ価値の最大化を実現する戦略と財務能力の欠如、この三点に尽きる。

2017年4月17日

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