2017年10月16日
グローバル・コミュニケーション
日本企業と国際言語としての英語
本名 信行
一般社団法人グローバル・ビジネスコミュニケーション協会 代表理事
青山学院大学名誉教授
はじめに
日本企業は、ウェブサイトで自社の業務・活動について英語情報の発信に努めなければならない。ところが、日本企業の英語ホームページには、由々しき問題が散見される。たとえば、日本語版と英語版で、会社の経営方針が違って表現されることがある。ここでは、ある会社の謝罪の仕方について日英比較をしてみたい。
溝を埋める
数年前のできごとである。ある損失隠しが問題になった有名会社が、日本語と英語のホームページで、その件について謝罪した。しかし、その内容は以下に示すように、ずいぶん違っていた。
[日本語]
平素より格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。 過去の買収案件に関する第三者委員会の調査の過程にて、弊社が有価証券投資などに関する損失の計上を先送りしていたことが判明いたしました。 株価の下落などを含め、株主、お客さま、お取引先の皆さまなど、ステークホルダーの皆さまに多大なるご迷惑をおかけしておりますことを深くお詫び申し上げます。
[英語]
We wish to make a profound apology for all of the distress and trouble caused due to the recent series of media reports and fall in the stock prices triggered by our recent change in President. The past acquisition activities mentioned in the media are being examined by an external panel of experts set up on November 1.
日本語版では、「…有価証券投資などに関する損失の計上を先送りし(たため)、株価の下落などを含め、株主、お客さま、お取引先の皆さまなど、ステークホルダーの皆さまに多大なるご迷惑をおかけしておりますことを深くお詫び申し上げます」とあり、明示的かつ十分ではないにしても、本筋に関連した謝罪の理由が挙がっている(もちろん、本来は「損失隠し」や「飛ばし」は違法行為である)。
一方、英語版では、We wish to make a profound apology…と述べて、謝罪の意思を表している。 しかし、その理由は…the distress and trouble caused due to the recent series of media reports and fall in the stock prices triggered by our recent change in President(社長交代が引き起こした連日のメディア報道と株価の下落により、ご心配とご迷惑をおかけしたこと)とあり、謝罪の理由にはまったくなっていない。
同社のステークホルダーは、社長交代のメディア報道に迷惑しているわけではなく、それが株価を下げたと思っているわけでもない。このような非合理的な言い方では、会社の責任回避の態度を露呈してしまい、さらには危機管理能力の欠如が疑われる。せめて、日本語版にあるくらいの理由を挙げるべきである。
このギャップはどこから来るのか。それは日本人の英語観から来る。日本では「アメリカ人やイギリス人は英語では謝らない」という風説が広まっている。英語では謝ると過失を認めたことになり、責任を取らされるので極力避けるべし、というのである。確かにそういう傾向はある。
同じころイギリスの一流銀行が起こした金利操作事件では、当の銀行は謝罪するどころか、 We’re clean, but we’re dirty-clean, rather than clean-clean.(当行はきれいですが、きたない目のきれいといったところです。きれい目のきれいではありません)と述べたと報道された。英国銀行協会の重鎮もこれに、No one’s clean-clean. と応じたそうである。
ただし、英米の多くの人々はこの銀行業界の態度に呆れ果て、厳しく非難した。悪いことをしたならば、きちんと謝るのがアメリカ人であろうがイギリス人であろうが当たり前のことである。さらに、日本人として、英語を話すなら何から何までネイティブ式にしなければならないというのは、いただけない。
私たちにとって、英語はアメリカ人やイギリス人の言語ではなく、国際言語なのである。もっと言うなら、私たちは英語を使って私たちの本当の気持ちを正確に表現すべきなのである。謝るにしても、全面降伏は本意ではないであろう。自己弁護は正当な権利である。ただし、自己弁護の主張は、客観的、合理的、かつ説得的でなければならない。うそ、ごまかし、でまかせ、こじつけであってはならない。
上記の英語版には、そのようなきらいが感じられる。つまり、英語式に「謝りたくない」と思いながらも、日本式に「謝らざるをえない」という気持ちの矛盾が、このような木に竹を接ぐ理由づけを生んだと考えられる。
事実、日本人はお互いによく謝る。年配の女性が混雑する電車の中で目の前に座っている若者から席を譲られると、「すみません」と言いがちである。席を譲らねばならないと思わせたことに対する気持ちなのであろう。最初におわびを言ってから、若者の行為に対してあらためてお礼を述べることもある。
日本人のこういった感じ方と生き方は、どう考えてもおかしなことではない。そこで、これを英語でどう表現したらよいかを、じっくりと考える必要がある。ネイティブの言い方に合わせることができないところは、適切な言い方を創り出していく必要がある。
バイリンガルは二重人格者ではない
いずれにしても、日本企業は日本語と英語で言うことを使い分けるようなことをしてはならない。この態度と能力を持つためには、日本企業は社員の英語力向上に取り組む必要がある。しかも、日本人の本当の気持ちを表現できるように、英語を使いこなすことが求められる。企業内の英語研修などでは、こういった意識とコンピテンスを育成すべきであろう。
多くのバイリンガルは母語ともうひとつのことばを状況によって使い分け、ものの見方を変えるような二重人格者ではない。2つの言語は個人の一身に統合され、複合システムとして機能している。同時に、バイリンガルは複数言語が相互に影響し合うため、各言語の使用幅に広がりが見られる。企業の2(多)言語使用においても、この原則を貫き通すことが望まれる。
おわりに
日本のビジネス社会では、謝罪はきわめて重要な管理能力のひとつである。しかし、経営陣はその詳細を率直に述べることはしない。間違いを犯したならば、社会的道義的責任を認識して、それを真摯に表明すべきである。それは社会的信用と与信管理のうえで、強く求められる。そして、それを日本語と英語で正しく表現する工夫をする必要がある。
2017年10月16日